月に叢雲花に嵐

1日1枚フォトダイアリー

河口湖駅から富士山を望む

2月5日、富士急の河口湖駅にて下車。

魔理沙さんバイトっスか?

20230220002019

SIGMA SD1 Merrill+18-35mm F1.8 DC HSMM(18 mm) SS1/250 F8 ISO100

 

本日の目的地は三つ峠である。

9時50分に天下茶屋行きのバスが出ているのだが、

この時期は天下茶屋までは行かず、三つ峠登山口が終点になる。

 

天下茶屋と言うと太宰治富岳百景で有名だが、

当時は甲府に抜ける街道が走っていて、バスもそれなりに通っていたようだが、

今ではより下の方に新御坂トンネルができ、

バスは1日1本の上、冬季は運航停止になっているようだ。

 

太宰が天下茶屋に滞在したのは

昭和13年…1938年の8月~11月…29歳のころのことである。

盧溝橋事件の翌年で、真珠湾攻撃の3年前のことだが、

次郎物語などでは二・二六事件のころにはヤバい感じになっているのだが

このあたりはまだ平和だったようだ。

 

富岳百景の最後に、観光に来た若い娘さんに写真を撮るように頼まれるシーンがある。

当時はスマホやデジカメなど当然なく、

オートフォーカスどころかオート露出すらない時代で、

フィルムはすでに1935年にコダクロームが誕生しているが、

日本でさくら天然色フヰルムが登場するのは1941年のことで、

一般に使われていたのはモノクロフィルムであろう。

ハンザキヤノンが販売されたのが1936年であったが

普通のサラリーマンの月給が50円の時代に

レンズ付きとは言え275円のこのカメラは高嶺の花だった。

日本初の二眼レフと言われるミノルタフレックスI型も1937年に発売されている。

 

この当時、若い女性が旅行に持ち歩くカメラと言うと、

パーレットベビーパールあたりが思い浮かぶが、

パーレットのレンズが75mm…当時のベスト判フィルムは

40×65mmと645よりも大きく、35mm換算で画角は0.33倍の24mm相当、

ベビーパールのレンズが50mmでベスト判のハーフサイズで

0.72倍の35mm相当…

この富士山の写真が28mm相当で

人が罌粟の花のように見え、

富士山をフレームいっぱいに大写しにしたというから35mmの方かも知れない。

 

さてこのバス…1日1本である…

つまり、三つ峠に登ったが最後、自力で下りるしかない。

(マイカーの場合、登山口に止められるが)

 

バスまで時間があったので、

河口湖駅にて軽く食事を済ませた。

 

富士山はこの時点ではよく見えた。