2月5日、富士急の河口湖駅にて下車。
…魔理沙さんバイトっスか?
SIGMA SD1 Merrill+18-35mm F1.8 DC HSMM(18 mm) SS1/250 F8 ISO100
本日の目的地は三つ峠である。
9時50分に天下茶屋行きのバスが出ているのだが、
当時は甲府に抜ける街道が走っていて、バスもそれなりに通っていたようだが、
今ではより下の方に新御坂トンネルができ、
バスは1日1本の上、冬季は運航停止になっているようだ。
太宰が天下茶屋に滞在したのは
昭和13年…1938年の8月~11月…29歳のころのことである。
盧溝橋事件の翌年で、真珠湾攻撃の3年前のことだが、
次郎物語などでは二・二六事件のころにはヤバい感じになっているのだが
このあたりはまだ平和だったようだ。
富岳百景の最後に、観光に来た若い娘さんに写真を撮るように頼まれるシーンがある。
当時はスマホやデジカメなど当然なく、
オートフォーカスどころかオート露出すらない時代で、
フィルムはすでに1935年にコダクロームが誕生しているが、
日本でさくら天然色フヰルムが登場するのは1941年のことで、
一般に使われていたのはモノクロフィルムであろう。
ハンザキヤノンが販売されたのが1936年であったが
普通のサラリーマンの月給が50円の時代に
レンズ付きとは言え275円のこのカメラは高嶺の花だった。
日本初の二眼レフと言われるミノルタフレックスI型も1937年に発売されている。
この当時、若い女性が旅行に持ち歩くカメラと言うと、
パーレットのレンズが75mm…当時のベスト判フィルムは
40×65mmと645よりも大きく、35mm換算で画角は0.33倍の24mm相当、
ベビーパールのレンズが50mmでベスト判のハーフサイズで
0.72倍の35mm相当…
この富士山の写真が28mm相当で
人が罌粟の花のように見え、
富士山をフレームいっぱいに大写しにしたというから35mmの方かも知れない。
さてこのバス…1日1本である…
つまり、三つ峠に登ったが最後、自力で下りるしかない。
(マイカーの場合、登山口に止められるが)
バスまで時間があったので、
河口湖駅にて軽く食事を済ませた。
富士山はこの時点ではよく見えた。