月に叢雲花に嵐

1日1枚フォトダイアリー

見晴らしの丘より

ネモフィラメインの写真をアップする前に、

ひたち海浜公園や♯ネモフィラを偵察に出かけた。

なるほどそう来たかという写真もあれば、

どうしても似たような写真もある。

20230420001600

SIGMA SD1 Merrill+8-16mm F4.5-5.6 DC HSM(8 mm) SS1/100 F16 ISO100

 

これはありがちなひたちなか市最高峰という

見晴らしの丘(標高58m)から観覧車方面を撮影した写真…

…何はともあれこれは撮る…

中央右が昨日の菜の花畑でこれだけでもかなりの規模なのだが

小さく見える。

菜の花畑付近の西の斜面はまだ緑が目立つのだが、

全体で見ればまずまずだったというべきだろう。

 

今でこそ花が一面に咲き誇る公園だが、

戦時中は帝国陸軍水戸飛行場であり、

敗戦とともにアメリカ軍に接収され、

水戸射爆撃場となり爆撃訓練に利用され

痛ましい事件も起きたりした。

 

55年体制成立の頃に返還させて原子力研究施設をつくるという構想もあったが、

返還かなわず射爆撃場の北の村松海岸の松原に誘致することになり、

これが現在の東海村原子力関連施設になっている。

天ケ森射爆撃場と六ケ所村の関係に似ているが、

水戸射爆撃場は付近住民による返還運動により1973年日本に返還された。

これは元米軍立川基地であった昭和記念公園のいきさつにも似ている。

 

先日、元毎日新聞記者西山太吉が亡くなったが、

彼が暴露したのが沖縄の密約で、

アメリカは返還される基地の原状回復費を支払うことになっていたが、

実はびた1文たりとも支払わず、日本政府が税金で出すという密約だった。

また立川や国分寺周辺で有機フッソ化合物で汚染されているのが問題になり

基地の影響が疑われている。

それでも戻ってくるだけマシと言えばその通りなのだが。

 

ひたち海浜公園がオープンするのは1991年。

当初は70ヘクタールであったが、現在は119.4ヘクタールに及ぶ。

こうしてみると左端の阿字ヶ浦まではかなり距離があり、

ここまで歩く計画は無謀だったかもしれない。

 

実は広大な花で有名な公園と言うことで、

鳥や虫がいないものかと注目していたのだが、

生き物の気配は…人間を除いて希薄なのが気になった。

沢田湧水地まで行けばまた違ったのかもしれないが…