月に叢雲花に嵐

1日1枚フォトダイアリー

日本庭園にて

戦前立川飛行場があった敷地は米軍基地として接収され、

昭和30年立川米軍基地の拡張案が発表された。

砂川町議会は全会一致でこれに反対、砂川闘争が勃発する。

 

昭和32年、政府が強引に測量を行ったところ、

デモ隊の一部が米軍基地内に入り行政協定違反に問われて

7名が起訴された。

 

ところがこの裁判はそもそも在日米軍基地が憲法違反じゃね?

と言う裁判に変質し、昭和34年3月30日地方裁判所

在日米軍基地は憲法違反なので全員無罪と言う判決が下された。

検察側は最高裁に跳躍上告し同年12月16日最高裁判決は

在日米軍は合憲、安保条約のように高度に政治的な事柄は判断しないと差し戻した。

 

今ではアメリカの機密解除された公文書により

ダグラス・マッカーサー2世駐日大使の介入があったことが明らかにされている。

以降、この国は憲法より上位にアメリカの意向が働く国となったのである。

この判決を砂川事件最高裁判決と言う。

 

一方、砂川闘争の方は、昭和43年に基地拡張計画が中止となり、

昭和52年に立川基地は全面返還され、一部が昭和記念公園となった。

 

昭和47年沖縄が返還されたとき、

アメリカが返還される基地の原状回復費を払うことになっていたが、

実は日本政府が出していたことでわかるように、

米軍は基地返還で原状回復などしない。

また近年、横田基地のPFASが問題になっているが、

沖縄ではベトナムで撒かれなかった枯葉剤を埋めたり海に投与したりしていた

公園になったのももしかしたらそのままでは使い物にならなかったかもしれない。

 

とはいえ、今、我々が気軽にこの公園を散策できるのもアメリカより返還されたおかげであり、

さらに言えば砂川闘争のおかげと言えるだろう。

 

さて、本日の写真は園内の日本庭園の写真である。

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Canon EOS 5D Mark III+EF135mm F2.8 ソフトフォーカス SS1/250 F2.8 ISO100

 

この公園でもみじを見るなら日本庭園。

あとは水鳥の池の北側にある。

もみじの紅葉はまだまだであったが、

一部は色づいていた。

 

この日本庭園の最寄りの出口が砂川口であり、

コスモスの丘やこもれびの里の先、もっとも北側の出口であり、

付近では早春にはセツブンソウの花も見られる。

電車の路線が違うためあまりこの入り口を使うことはないのだが。

 

この日は、あけぼの口から入り、立川口カナールから

水鳥の池沿いに北上し、うのはな橋を渡り、売店で買ったケバブを食べながら、

かたらいのいちょう並木を往復し、日本庭園に向かい、

庭園の前でだんごをいただいたがこの時点でかなり西日であった。

 

日本庭園を1周し、みんなの原っぱを東回りで帰りかけたが、

かたらいのいちょう並木でライトアップのアナウンスがしつこかったので、

覗いた後、

立川口カナールをへて立川口から帰ったのは昨日書いた通り。