月に叢雲花に嵐

1日1枚フォトダイアリー

青い紅葉と彼岸花

彼岸花帰化植物であり、稲とともに持ち込まれたと言われている。

彼岸花には毒がありこれを水路に植えておけば

モグラにあらされることがないと言う生活の知恵である。

また、水にさらすことで毒を飛ばし飢饉時に食べる救荒作物でもあった。

 

日本に伝えられたのは三倍体の突然変異した花の大きな彼岸花であり。

原産地の中国には二倍体の彼岸花が存在し、これは種をつけると言う。

なお白い彼岸花モンサントの除草剤を撒いて遺伝子が欠損した結果と言われている。

そもそも種をつくらない彼岸花は交雑などで新種をつくれない。

一方、リコリスは中国の二倍体をベースに品種改良しているという。

 

関東の彼岸花で有名なのは巾着田だが、

周辺を流れる川は高麗川と言い近くに高麗神社がある。

このあたりは、高句麗新羅と唐の連合軍に滅ぼされた後、

亡命してきた高句麗人に与えられた土地と言う。

 

高麗と言うと元寇で元の手先となって攻めてきた国という印象があり

奈良時代にはなかったのではと思うが、

漢書地理誌には高句麗とあるが、

隋や唐の歴史書では高麗とされている。

日本において高句麗のままなのは

後世に鎌倉時代の高麗との混同を防ぐためそうなっていると思われる。

なお古代日本ではコマと発音されていたらしい。

 

歴史的に朝鮮半島から人が入ってきたタイミングが何度かあり、

朝鮮出兵の時には主力となった西国の大名…特に毛利や島津は

朝鮮の技術者を拉致してきて焼き物などをつくらせていた。

明治維新とは力をつけ下級氏族になっていた朝鮮半島出身者の子孫の

クーデターであると言う説もある。

大久保利通など鹿児島の高麗町の出身であるし、

田布施と言う集落が出てくるが…いやこの話はよそうw

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PENTAX KP + APO 70-300mm F4-5.6 DG MACRO(300mm) SS1/400 F8 ISO3200

 

巾着田も一度は行ってみたいのだが、人が多いと聞くので行けていない。

しかしやはりあらためて出回っている写真を見ると巾着田の密度はすごい。

 

高麗人の里の彼岸花と言うと有史以来ずっと彼岸花が咲いているイメージだが

実はその歴史は意外にも浅く、

昭和50年代に草刈りをしたところ彼岸花の群生が見られるようになったという。

まぁ、帰化植物であり球根で増えるので、球根がないと生えてこない植物ではあるのだが…

 

彼岸花の花を撮ったら、

あとはイチョウと紅葉を撮ったら今年はおしまいな感じである。

どこに撮りに行くか例年頭を悩ませている。