月に叢雲花に嵐

1日1枚フォトダイアリー

ベニヒガサダケ

父の葬式を無事に終えることができた。

 

かつて日本人は権力者が死ぬと

古墳をつくっていた。

つまり土葬が主流だったと考えられる。

 

火葬は仏教…あるいはバラモン教及びその派生の宗教の風習であり、

仏陀は火葬され遺骨は仏舎利として各地の寺院に納められた。

 

仏教伝来とともに日本に入ってきた火葬であるが、

遺体を焼いて灰にするには費用がかかった為、土葬も併用されていた。

疫病などがあると埋葬が追いつかず羅生門のようにカオスなことになったらしい。

 

明治時代、廃仏毀釈で、一時火葬が禁止されたこともあったが

墓地を確保することが難しくなり、火葬が主流となっていった。

アイヌも土葬文化だったが同化政策により今はほぼ行われないという。

 

とは言え、土葬も禁止されているわけではなく、

イスラム教や儒教、一部のキリスト教

ゾロアスター教チベット仏教などの火葬が忌まれる宗教のために

土葬も可能になっており、天皇皇后両陛下は土葬にて葬られることになっている。

 

また、かつて沖縄には風葬と言う風習があった。

あるいは古墳も本来は風葬のための施設だったのかもしれない。

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OM-1 Mark II + M.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macro SS1/25 F3.5 ISO200

 

父はそれほどカメラに執着することはなかったが、

祖父がカメラが好きだったらしく、

結婚したときに一緒に買いに行ったと言う話を母がしていた。

もっとも祖父は小生が生まれた時にはすでに亡くなっていて

その話もはじめて聞いたのだが…

 

しかし、当時カメラは今ほど簡単ではなく

もちろんフィルムカメラであったし、

オートフォーカスもまだなく、AEがようやく実用化されたころの話である。

まぁ戦前には、すでにOLさんがカメラを持ち歩いている記述が、

太宰の富嶽百景にあるので、

驚くほどのことではないのかもしれない。

 

母はミノルタのカメラと言っていたが

父が使っていたのはα-7700iだったと思われるので

少なくともこれは2代目だったと言うことになる。

この機種ははじめてオートフォーカスを搭載したことで名高い

α-7000の後継機種であり、

1988年に販売されたカメラで

インテリジェントカードと言うものが採用されていたが

これは…まぁプログラムモードしか使う気がなかったと言うことでもある。

カメラなんて風景撮るときはF11、それ以外は解放でいいんやで?(暴言)

 

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